出雲大社の社報『幽顕(ゆうけん)』
(厳密には出雲大社教教務本庁内「幽顕社」発行)。この題名の出典は、恐らく古事記の序文(正確には上表文)に以下のようにあるのによるのだろう。「幽顕に出入して、日・月、目を洗うに彰(あらわ)れ…」(イザナキの神があの世へ行ってこの世に戻り、禊〔みそぎ〕をして左右の目を洗うと日の神、月の神が現れ…)と。又、日本書紀にも、出雲大社のご祭神(さいじん)、大国主神(おおくにぬしのかみ=大己貴神おおあなむちのかみ)の言葉として「天照大神の子孫は“顕露事(あらわなること)”を治め、自らは“幽事(かくれたること)”を治める」という趣旨の表現が出てくる(第9段第2の一書)。これ等も当然、念頭に置いて選ばれた表題だろう。その1月号に拙稿「御代(みよ)替(が)わりの年を迎えて」が掲載された。何と通巻1257号(!)。とんでもない号数だ。由緒ある紙面を汚してしまったのではないかと、汗顔の至り。同じ号には、かねて尊敬申し上げている神道学者で國學院大學教授の西岡和彦氏のご高論「天御蔭(あめのみかげ)日御蔭(ひのみかげ)と天日隅宮(あめのひすみのみや)と」が載っていた。出雲大社ご本殿の「神学的」な意味について、先行研究を踏まえつつ、独自の論拠を明示した上で、ご自身の新しい見解を披瀝(ひれき)されている。制約された枚数ながら、学問上の検証対象たり得る、見事な学術論文になっていると申して、敢えて過言ではあるまい。さすがだ。ますます恥ずかしくなった。他に、出雲大社の権宮司(ごんぐうじ)でいらっしゃる千家(せんげ)和比古(よしひこ)氏の玉稿も掲載されている。人と人との“繋がり”の大切さを、平易かつ多方面から説いておられて、頗(すこぶ)る興味深い。同氏が、宇沢弘文博士のご令嬢(文中では女医のUさん)と接点をお持ちだったとは、些(いささ)か意外。新年早々、このような場に拙文を発表する機会を与えられ、
まことに光栄だ。